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ミルウォーキー (USS Milwaukee, CL-5) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦でオマハ級軽巡洋艦の1隻。艦名はウィスコンシン州ミルウォーキーに因む。その名を持つ艦としては3隻目。本艦は第二次世界大戦後半にソ連海軍に貸与されムルマンスクとして一時期就役した経歴を持つ艦である。 ==艦歴== === 戦間期 === ミルウォーキーは1918年12月13日にワシントン州シアトルのシアトル・コンストラクション・アンド・ドライドック社で起工、1921年3月24日にトッド・シップビルディング社でルドルフ・プフィール夫人によって命名、進水し、1923年6月20日に艦長ウィリアム・C・アザーソン大佐の指揮下就役した。 就役後ミルウォーキーは整調巡航でハワイ、サモア、フィジー、ニューカレドニアを経由し、1923年8月23日にオーストラリアのシドニーで開催される汎太平洋科学会議に向かう。、ミルウォーキーは新型の深海聴音設備を装着し、帰路において太平洋の調査を行った。 ミルウォーキーは大戦間の十数年間を主として太平洋で過ごしたが、平時任務におけるハイライトはカリブ海であった。1926年10月24日、ミルウォーキーは駆逐艦ゴフ (''USS Goff, DD-247'') と共にグアンタナモ湾のピノス島に到着し、4日前の猛烈なハリケーンで被災した島民の救助に当たった。2隻はヌエバ・ヘローナの市庁舎に医療センターを設置し、被災地に50トン以上の食料を配布、電話線を敷設し、無線通信所を設置した。乗組員達は献身的な作業により、被災者達から尊敬および謝意を受けた。 1939年2月14日、ミルウォーキーはイスパニョーラ島およびプエルトリコの北方海域で、大西洋においてこれまで発見された最深部を記録した。その深度は 30,246フィート (9,219 m) あり、ミルウォーキー海淵と命名された。 東洋における緊迫の度合いは高まり、1937年12月12日に揚子江においてアメリカ海軍の砲艦パナイ (''USS Panay, PR-5'') が日本軍によって沈められた。ミルウォーキーは事件に対処するため1938年1月3日にサンディエゴを出航し極東へ向かう。ミルウォーキーはハワイ、サモア、オーストラリア、シンガポール、フィリピン、グアムを訪れ、緊張が緩和されると共に、4月27日に帰国の途に就く。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミルウォーキー (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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